だいさくの日記 Daisaku's diary

英語、筋トレ、Netflix、モノ、などなど

7年間の会社員人生を振り返ってみる Part 2 ぬるま湯

どーも、だいさくです。
ブログ久しぶりに更新するわ〜。
今日は僕の社会人の初めての年を振り返ってみるよ。
いってみよう!

大企業のグループ会社へ入社

2010年4月、僕はある化学品の専門商社に入社した。
大元の親会社は日系の電気メーカーだった。
そのグループ会社の化学素材メーカーの、そのまたグループ会社が僕の会社であった。
なぜそこに入社したかというと、端的に言って学生時代の就活でその専門商社ともう一つの企業しか内定をもらえなかったんだよね。
その2社を比較した時に、大企業のブランドがあるので、化学素材の専門商社を選んだんだよね。
僕の他に2人同期がいて、両方とも男であった。
内定式の時には女の子がいたんだけど、その子はその後内定を辞退したみたいんで、入社式にはいなかったんだよね。
もう昔の話なんで名前なんか全く覚えてないんだけど、仮にA子さんとする。
入社式の日に人事の人から「A子さんは違う道に進むことになりました」とだけ言われた。
その瞬間、僕の同期は男三人だけって確定したわけ。
その時はちょっと絶望したと思う。
他の2人の同期もそうだと思う。

今考えると、僕の先輩社員や翌年以降に入ってくる後輩の中には女子社員は必ずいて、僕の代だけ男だけという異常事態だった。
先輩もさぞがっかりしたことだろう。
というか、先輩からがっかりしたと言われた。
この時は前年に起こったリーマンショックのせいでどの企業も新卒の採用人数を絞っていた。
僕の一年先輩の採用人数は合計10人。
一方、僕の同期は3人という少なさに僕は不安だった。
しかし、振り返ってみると男だけの少ない同期で良かったと今では思っている。

新入社員研修 with 親会社


入社して最初の2週間は親会社の新入社員50人くらいと一緒に新入社員研修を受けた。

親会社の同期はすごく気さくであった。
親会社はメーカーなので、親会社同期は90%以上理系出身であった。
僕は文系出身なので、理系の人とあまりからんだことはなかった。
それまでの僕の理系の人のイメージはとにかく暗くて人と話すよりパソコンをいじったりするのが好きなオタクな印象だった。
しかし、親会社同期は明るく酒もよく飲み気さくだった。

僕は研修中はせっかくなので親会社同期となるべく一緒にいて全員と最低一回は話そうと目標を立てていた。
結果、親会社同期のほとんどとメールアドレスを交換したし、誰とでも何かしら話せるようになっていた。
親会社同期とこの時たくさん絡んでいたおかげで、後々役に立った。

新入社員研修では名刺の渡し方や仕事のケースタディーなどの講義を受けたり、チームに分かれて将来の会社の理想な姿を最終日にプレゼンなどを行った。
この時は社会人のスタートだったし、スタートダッシュ切るぞ、っていう意気込みを持っていきっていたので、普段の数倍積極性をだしていたんだよね。
もう鼻息荒く、「研修の全てを吸収して成長してやる」っていうくらいいきってたのね。

各研修で質問できる機会があれば講義では質問したり発言したりね、親会社同期とせっかく絡める機会だからって、同じ会社の同期を置いといて親会社同期とばっかり絡みまくってた。

親会社同期は研究職とか開発職になると大学院出身以上なので、それぞれ専門的な知識を持っており頭も良かった。
文系の大学を出ている僕の知識レベルでは彼らに太刀打ちできないので、僕の役割は「専門家じゃない客観的な視点や、人脈を築いて人と人をつなげたりすること」なんじゃないかとこの時感じたんだよね。
まぁ、その後特に大した人脈を築くこともなかったんだけどね。

僕は研修を通して親会社同期とも仲良くなり、親会社同期との仲を深めることができた。
研修の全日程が終了したとき、よく話していた親会社同期から「だいさく、がんばってたね」と言われた時なぜかめちゃくちゃ泣いてしまった。
研修を通して気を張っていたのかもしれない。
研修が終了したときに親会社同期と別れる時もなぜか泣いていた。
泣きすぎてもう恥ずかしかった。

新入社員研修は続く

2週間の親会社との合同新入社員研修を終え、自分の会社に本社に戻った後もさらに2週間新入社員研修を行った。
研修内容は文章の書き方とか、英会話とかだった気がするが、あまり覚えていない。
新入社員研修が終わると、今度は会社の各部署をローテションして、かかってきた電話を取ったり、註文書を受けて伝票を打ったり実務を通して学ぶフェーズになった。

今考えると前の会社はすごく大切に且つのんびり自分達のことを育ててくれていたんだなぁと感じる。

ローテーション中は電話とるくらいしかやることがないので同期とともに電話を誰が早く取れるか勝負をしていた。
だいさくはワンコールの半分くらいで電話を取りまくって同期に確か圧勝していた。まじどうでも良い勝負だけどね。


会社の研修の全体像を見て気が遠くなる

新入社員の研修の時にね、配属後の研修の全体像が書かれた紙を渡された。
「こんな感じであなたたちの役職があがっていきますよ〜」みたいな。
それを見てぼくは気が遠くなったのね。
なんでかって、研修スケジュールが30年後とかまであったから。。
その会社は「ザ・日系企業」だったので終身雇用が前提なわけで。
となると当時定年は60歳だから「そこまでにこんなキャリアパスがありますよ〜」って会社的には見せたかったんだろうけど、これを見て思った、「なげぇ」と。
っていうかね、役職上がる条件がね、もう年数なわけですよ。
駆け出し2年やったら、次の一人前的な役職になって、また3年たったら、次の役職に行く権利を得ることができますよ〜。みたいな。
それを見て僕は目が眩んだのを覚えている。
「こんな待てないよ」みたいな。

ついに配属

2ヶ月間の研修を受け、僕たち新入社員は各部署に配属となる。
僕はディスプレイ用のフィルムを販売している部署に営業として配属となった。
配属前に配属希望を人事に提出するのだが、配属された部署は第二志望の部署であった。
理由は、この部署は売上の70%が海外顧客が占めていたので、英語を使ったグローバルなビジネスができると思ったんだよね。
今後海外顧客の担当になるんだけど、それは次回以降書きますわ。


部署のメンバー

ここで僕の部のメンバーを紹介しておきたい。(偽名)

・部長 天然さん(50中盤):ゴルフ大好き。話しやすい。
・課長 ざきさん(アラフォー):会社の最年少課長。酒と自慢話が大好き
・課長 しゃくれさん(50くらい):ゴルフ上手い。話しやすい。
・係長 ダンディーさん(30中盤):海外顧客担当。仕事できる先輩。後に出世する。
・主任 平井さん(30中盤) :だいさくのメンター。すごいお世話になった。
・部員 神経質男さん(20後半):ダンディーの部下。神経質で冗談が通じないし、細かく絡みにくい。


しゃくれさんとダンディーさんは部のムードメーカーで、二人で冗談をよく言っていて笑わせてもらった。
僕はそれが好きだった。
直属の上司になった平井さんも話しやすくすごい好きだった。
会社の仕事はつまらなかったが、とにかく部署のメンバーや雰囲気は明るくて楽しかった。
だから僕は会社に行くのが好きだった。
仕事をしながら楽しい先輩と話して、金をもらえるという最高な時であった。

めっちゃヒマ

最初に僕に与えられた仕事は、売上が小規模な顧客の担当、先輩のお客さんの納期管理サポート、発注書の伝票入力、問い合わせ対応、部の共有売上資料の管理、などであった。
ルーティーンワークだし簡単な仕事なので毎日午前中には仕事はほぼ終わっていた。
午後は非常に暇だったのでネットサーフィンをしたり、部の共有資料を見たりして僕は時間をつぶしていた。
暇なので僕は毎日定時に帰っていた。
先輩的も定時になると「早く帰れ」と早々に帰宅するように背中を押してくれた。

ベンチャーに行った僕の友人とかの話を聞くと、1年目から残業が多いだの、終電を逃しただのと聞いていた。
「こんなにぬるい環境にいて自分は良いのだろうか?」と思ったこともあった。
しかし、僕はこのぬるい環境にすぐさま適応した。

1年目の後半になってくると新しい仕事を任されたりして多少忙しくなったがそれでもほぼ毎日定時に帰っていたし、遅くとも19時代には必ず帰っていた。

まぁ、ある程度仕事もしてましたよ。
引き継いだ売上管理の資料がエクセルの式とかテクニックが足し算くらいしか使われてなかったので、式とか入れてもっと使いやすくしたり。
お客さんに送る英文メールを先輩の代わりに書いたり。
テレアポ営業で新規顧客開拓にチャレンジしたりした。(ひとつも開拓できなかったけどね)

工場実習

うちの会社は化学素材の専門商社なので、仕入先の工場との連携が欠かせないわけね。
ってか、仕事の大半は仕入先の化学素材メーカーとの打ち合わせだったり、あれやってとかこれやってとかの依頼しつつ依頼されつつのせめぎ合いなのね。
そんなもんで工場の人との関係がめちゃくちゃ大事なんすわ。

たしか11月の半ばくらいかな、仕入先のメーカーの工場実習に一ヶ月くらい行かせてもらったのね。
茨城のど田舎の寮に一ヶ月止まったんだけど、だいさくは実家が東京なんでいままで実家から出たことなかったんだけど、プチ一人暮らし初体験みたいな感じだった。
この期間は自由だった。
実家の両親に気を使わなくて済むし、飯を食うか食う食わないかいちいち連絡しなくて良いし。
普段は9時に会社スタートなんだけど、工場の就業開始時間は早くて8時15分。
だから、終了時間も早くて17時前には終了してるのね。
研修中なのでもち残業ないので毎日18時には寮についていた。
周りに遊ぶとこもないのですげー暇でしょうがなかった。

なんか暇すぎてこの工場見学中にしかできんことは何かと考えてたんだよね。ただ過ごすのももったいないので。
工場見学の目的って、製品がどうやって製造されているかだったり、各セクションがどんな仕事をしているのか教えてもらったりすることだったとおもうんだけど、一番大事なのは「顔を覚えてもらうということだな〜」と思ったので工場の人に飲みに連れて行ってもらったりして暇をつぶした。
週末は東京には帰らず工場の人とフットサルとかしてみた。


こうやって何か自分の中でテーマだったり目標を持って、それに向けて行動していくっていうのは楽しかったなと思う。
この時に工場の若い人と絡んで置いたのは後々すごくプラスになったなと思う。
商社の先輩も知らない人を僕が知っていたので、先輩の代わりにコンタクトしたりできたり、部署変わった時もスムーズに工場の人と連携できたりした。

そんなこんなで一ヶ月あっという間に過ぎて、工場実習は無事終了した。

人との打ち解け方

僕は初対面の人と打ち解けるのがすっごい苦手なんですね。
初めて会った人ってだいたい何を喋って良いのかわからい。特にシラフだと。
話題が全く頭から出てこなくなるんだよね。
こういう工場実習みたいに、すでに関係ができ上がっているグループに入っていくことはなおさら難しい。
そんな時、中村俊輔の「察知力」という本が参考になった。
俊輔がセリエAレッジーナに入ったばかりの時、イタリア語も全くわからなかったけどチームメイトからご飯に誘われたら必ず行っていたと書いてあった。
チームメイトが話していることが全くわからなくてとにかくその場にいることが大事だと。
そうすればだんだん人間関係ができていくからと。
そんなようなことが書いてあったと記憶している。
そんなことが書いてあったので、僕もとにかく工場の人と一緒の時間を作ろうと思ったんだと思う。
人間関係とか信頼関係というのは一朝一夕では築けないと思う。
2年目とかでは僕の言うことを聞いてくれなかった工場やメーカーの営業の人も、5年目、6年目になると僕の言うことを聞いてくれるようになった。
仕事の質を満たすことも必要なんだけど、それ以上に人間関係には「時間」という要素が大事なんだと思う。
一回一回のメールや電話、打ち合わせや飲み会の積み重ねが周りからの信頼につながっていたんだと思う。

1年目まとめ

そんなこんなで社会人の最初の年は、おおむね楽しかった。
年末の冬休みの直前にインフルエンザにかかって会社を初めて病欠し、個人的には気まずい思いをした。
先輩からしたら、使えない1年目の社員が会社に来ようと来まいと全く関係ないと思うけど。
マッキンゼーの出身のお笑い芸人の本を読んだんだけど、「マッキンゼーではプロジェクト初日からバリューを出すことを求められる」って書いてあった。
インフルエンザになったことでオフィスの話題になるというバリューは出せたかなと。
いや、出してないな、全く、バリュー。
ゼロバリュー。


反省としては、
・お客さんのとこに理由つけてもっと訪問すればよかった。
 社内にいても暇だけだったので。営業だし。もっと特権を活かせばよかった。
・インフルエンザの予防接種を打っておけばよかった。(翌年からは毎年打ちました)。予防接種を打ってインフルになったら「しょうがない」って言い訳になるなと思って。
・自分から仕事を作ろうとしなかった。
 ってか、何をすればいいか、何をしちゃいけないかよくわかってなかった。


1年目はぶっちゃけ楽だった。すっかりぬるい環境に慣れていた。
ぬるま湯最高〜。
しかし、2年目からは仕事は結構辛くなった。
詳細は次回で。